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zoom RSS 安倍晋三氏の戦後70年「作文」 … 国費を使ってこんなもの出す意味あったの ?

<<   作成日時 : 2015/08/18 23:57  

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 私はそもそも彼の顔が嫌いなので出来るだけ見ないようにしているのだが、今回の「談話」ばかりはしょうがない。発表の際の彼の表情、口調を見ておきたいと、我慢して聞いていた。

 もう一点我慢していたのは、その後の記者らとの応答がどうか、それを見てみたいというのがあった。結論から言うと、相も変わらず 愚にもつかん 八百長質問のオンパレードである。

 何で「自由な」質問に対して、安倍氏は原稿を見て答えられるのか。そんなバカな話はない。国会質疑と同じく、記者が事前に「質問とやら」を提出していなくてはあり得ない話だろう。

 百歩譲ってもしそういうのがないとしたら、記者たちの質問は安易な、想定内の粗雑な質問しかしないだろう、出来ないだろう、といった安倍氏側の ナメ か ?!

 又安倍氏も安倍氏である。

 そんな愚にもつかない質問に対して、彼は原稿を見て必死の棒読み。それもほとんどがついさっき発表したばかりの「談話の一節」をグダグダと読み上げるだけで、最後まで自分の言葉はなかった。

 「談話」はともかくとして、彼の質疑でのやり取りを聞いていると、この男本当に頭悪いなあと嘆息せざるを得ない。

 私ももうすぐ65歳、前期高齢者の仲間入りとなるので、どうしても古い話になってしまい恐縮だが、安倍氏の大叔父・佐藤栄作元首相の退任挨拶の場で、出席した記者の面々から相当辛らつな質問をされ、最後元首相はかんかんに怒って、「オレは国民に直接挨拶をしたい」と言いだして出席者全員を会場から追い出し、一人NHKのカメラに向かって語り出した、そんな姿を今でも思い出す。

 自民党支持者ではない私でさえ、「最後位せめておとなしく聞いてやったらどうなの」と彼に同情しきりであったが、今の安倍氏と記者団にこうした緊張関係があったら、もう少し安倍氏も丁寧、慎重に事を運ぶのではないだろうか。大変残念である。

 正確を期すために、翌日の新聞で「談話全文」を参考にして 「あること」 に限定して書いてみたい。

 その前に一点。

 全般的に、主語・主体をわざと散漫にし一般論に拡散した、非常にひどい「作文」であった、と思う。安倍氏が招集した21C構想懇談会(確か?)の提言を下敷きにしているのだろうが、お飾り座長を除くと代理の北岡某や委員の宮家某など安倍シンパの面々(安倍氏は盛んに「有識者」と持ち上げていたが)、それがこの程度かと思うと、この会に投じられているであろうそれなりの税金、安倍氏のポケットマネーで補てんして貰いたいものだ。

 結局言いたかったのは、最後の方の「安保法案」を強く意識した…

 「その価値(自由、民主主義、人権)を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」

 …これなんだろう。

 この文章の前に

 「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重して、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである」
とあるが、どのツラ下げてこんなことが言えるのだろうか。

 又中段に

 「日本では、戦後生まれの世代が今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 これはこれで良い。問題はその為に現世代の我々、殊に最高権力者である私は具体的にこういうことをして、こ
の問題に最終的にけりをつける、つけたい、こう続けなければ話にならないのだが、安倍氏はそれに関しては何も語っていない。

 要するに、彼はこんな作文を書く気も読む気もなかったのだろう、と思う。それでも出さざるを得ない、なら上記の報告書や官僚、ブレーンに世間受けする文章を書かせ、それだけだと業腹なので、本音をチョコチョコと入れておく、そんな所じゃないの?


 では上記の 「あること」 について少々述べてみたい。

 マスコミは文章の中に 侵略・植民地支配・お詫び・反省 が入るか、入るとすればどのような形になるかばかりを注目していたが、そんなもの彼がキチンと入れるか、21C何とかの人選と言い、はなっから分かっていたことだろう。

 問題は作文前段の歴史認識である。

 「戦後70年談話」と標榜しているように、その「戦」は勿論太平洋戦争のことであり、狭義的には1941年12月8日からではあるが、当然そんなことではなく、文章にも出てくるように1931年の満州事変に遡る。

 しかしそうなのか。まず私の近代日本史の理解、認識を書いておかないと安倍批判が理解されないのでザラッと書いてみたい。
 ※ 以下の文中で「 」は今回の作文(談話)からの引用である。

 18C後半に始まるイギリスの産業革命の欧米への普及、深化は、海外植民地獲得競争となり、アジアにおいてはインド、中国そして日本にも及んでくる。

 「植民地支配の波は、19Cアジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となった事は、間違いありません」。確かにそれはその通りで、日本は欧米的な大国を目指し幕府を倒したのち、殖産興業的施策を各種断行し早くも1890年代に産業革命を達成するに至る。

 しかしこうした急速な経済的変革は、日本国内に深刻な矛盾を抱えることになる。つまり大量生産体制は出来上がったものの、それを持続的に拡大する前提としての各種資源不足と、地租改正他の国家的施策による国民の貧困に起因する国内需要の過小性という問題である。

 こうした諸問題の打開策として、日本がとった国策が朝鮮・中国の植民地化政策であり、強力な軍事戦力の構築であった。富国強兵とは良くいったものである。

 つまり富国のためには工業化、その為には海外植民地の絶対的必要性、それには強兵、こうである。

 最初に狙った朝鮮に関しては、同国に利害・関心を持つ中国とロシアという2大国と日清戦争・日露戦争を戦い抜かざるを得なかったが、いい迷惑なのはそうしたことと一切無関係な朝鮮自身であり、特に日清戦争では国内の多くが戦場となった。

 日清戦勝で中国から朝鮮の宗主権を奪い、日露戦争の結果ロシアに朝鮮から手をひかせた日本は、その後着々と朝鮮国家の骨抜き化を進め、伊藤博文暗殺を好機として、ついに1910年植民地化に成功する。独立国家たる隣国の完全抹殺である。いくら 併合条約 と強弁しても、彼我の力関係、置かれた環境を考えればどこからそんなことが言えるのか。

 「作文」では、「西洋諸国」による「植民地支配の波」に対する「危機感」が「近代化の原動力」となって「独立を守りぬ」き、更に「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」たとある。

 ここには、侵略という概念は学術的にも世界的にも明確ではないとうそぶきながら、欧米列強によるアジア・アフリカ諸国の植民地支配を明記し、一方では朝鮮の植民地政策をすっぽりと抜かしている、彼の歴史観が明確に現れているし、更に言えば、まるで民族解放闘争の一因になった、と言わんばかりの日露戦争史観に至っては、笑う以外ない。

 私もそのエピソードはより詳しく知っているが、日露戦争をそれだけで終わらせている、安倍氏のその感覚、彼の頭をかち割って脳みそを是非覗いてみたいものだ。この戦勝がその後の朝鮮の運命を決定づける、その視点をどうするのか。と、ともに、そのポーツマス条約で満州侵略の足場をさりげなく押さえ、その権益を1915年の21ケ条の要求以降更に拡大していく。それをなかったものとするのか、安倍氏よ。

 こんなこと彼に言っても全く無駄であろうが、安倍氏は更に言う。

 「第1次世界大戦を経て…それまでの植民地化にブレーキがかかりました。(その蔭での中国に対する無謀な要求。植民地化の一歩じゃないの?)。しかし世界恐慌が発生し…欧米諸国が…経済のブロック化を進めると日本経済は大きな打撃を受け…行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みました…次第に…新しい国際秩序への挑戦者となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んでいきました」

 これを私なりに解釈すると、上記の「狭い国内市場」問題を前提としながらも、1929年の世界恐慌を起因とする昭和恐慌による社会の混乱、特に農村の崩壊状況など一挙に打開すべ、1931年の満州事変に始まる中国に対する全面的な侵略を開始する。

 確かに米英などの経済のブロック化による世界経済の縮小が、日本経済に深刻な打撃を与えたのは事実だが、「解決しようし試み」たとか、「国際秩序への挑戦者」などと表記し、まるで日本の「防衛・自衛」のためには中国侵略は当然のことだ、と言わんばかりの表現。

 この部分が彼が最も言いたかったものの一つに違いない。

 しかし 「挑戦者」 とは良くも言ったものだ。

 満州事変によって、中国東北地区を本体から切り離して「満州国」として植民地化に成功。それに反対する犬養首相を5.15事件で殺し、更に2.26事件で岡田内閣を崩壊させて軍部体制を強化したうえで、翌1937年日華事変で、中国と全面的な戦争に突入するに至るのである。

 いつの時代でもどこの国でも、必ず相手国に呼応する勢力が出現する。それは朝鮮でも中国でも然り、それをとらえて、例えば安倍氏は「侵略かどうかわからない」と上記の文章のような発言をするのだが、そんなものほんの一部の問題であり、何ら関係のない独立国に土足で踏み込んで、相手の国土、国民を荒らしまわる。そして朝鮮を抹殺し、中国の東北部を完全に奪い、更に本国全体を手中に収めんとする、それを侵略と言わずして何というのか。

 それはたとえ自分にどんな理由・事情があったとしてもだ。

 中国との全面戦争に苦慮した日本は、日ソ中立条約を結んで北の守りとし、日独伊三国同盟をてこに、中国包囲網の一環としての東南アジア侵略に乗り出す。

 しかしそこは中国の国力を圧倒する欧米列強の権益の巣窟であり、そこに手を出そうとする発想自体 狂っている と言わざるを得ない。

 しかし近代日本の 在り方・かたち を考えると、そこまで突き進んでいかざるを得ないのだろう。つまり日本の近代は、或る意味ひたすら 1945年8月15日 に向かって走り続けた時代、歴史であった、そう考えざるを得ない。


 私はイソップ物語の カエルのお母さんの話し を思い出す。

 牛を見た子供が母親に向かって「あんなふうに大きくなってみて」。それを聞いて母親は力一杯おなかを膨らます。「もっと、もっと」とせがまれた母親のおなかはついにパンクしてしまう。

 日本も植民地化の危機を或る意味バネとして近代を始め、「脱亜入欧」を標榜して列強の一員として朝鮮、中国に対する。そして世界5大国の一国として国際連盟の常任理事国に加盟し、文字通り「大日本帝国」となった。

 しかし日本国民は大国にふさわしい「豊かさ」を享受出来たか、諸権利を謳歌出来たか。「富国」のためには「強兵」と「国民の貧困」が必要であり、それがあっての「帝国」じゃなかったか。

 なら何故、昭和恐慌・農業恐慌の際、貧しさに苦しむ農民を助けんとして、某村役場の庁舎前に 「娘身売りの際は当役場にご相談下さい」 こんな看板が立てられたのか。

 大昔だから仕方ないと言えるのか、いやしくも昭和の時代ですよ。

 
 安倍氏は、「過去の歴史に真正面から向き合」い、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」と言っているが、真正面から向き合った過去の歴史の認識が コンなもん で、コンなもんを未来に引き継がれたのではたまったもんじゃない。

 全く出す意味のない「談話」=「作文」であったと、私は断じぜざるを得ない。

 
 第一次安倍政権の最後、平然と施政方針演説を国会という国権の最高機関の場で言っておきながら、数日後には何ら説明することなく スタコラサッサ と政権を投げ出す。ならどんなに厚顔でも最高権力者を務めた人間、潔く議員を辞職して「四国お遍路」でもやるのかナァと思っていたら、しぶとく 「死んだ振り」 。

 たとえどんなに無念で、やり残したことがあるとしても、私はそんな 卑怯な人間 は一切信用をしない。その思いを改めて認識した今回の騒動であった。

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