元「生徒のなれの果て」の徒然日記 … 日々の思い 

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zoom RSS ツノゼミの生き様 … 生きるって大変だナァ

<<   作成日時 : 2013/11/20 18:26   >>

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 今、久し振りに 「たけしのTVタックル」 を見ながらこれを書いているのだが、本題に入る前に一言。

 「老人医療・介護」を議題にしたもので、出演政治家が少なかったせいかそう議論的混乱はなかったが、改めて思うのは、安倍自民党政権が進めようとしている 「自主・自力 !?」 の貫徹であった。

 医療の自主・自力、といったら、早期退院や初診料の自己負担のアップであろうし、介護の自主・自力なら、家族介護を中心とした介護制度の再編・徹底だろう。

 現在病院での入院は、90日を上限としてそれを超えると診療報酬は大幅に削減されるが、この賛成の話として、「治っても旅館や喫茶店代わりに居着く患者も…」。

 そんなヤツが入院し続けることが出来るのか疑問だが、だとしてもそんなのはホンの一部だろうし、生活保護に関しての議論でも、極端な一部の不正受給を問題視してマスコミともども大騒ぎだが、本質の一つは、資格要件者・家族に対する適用制限である、と私は思っている。

 安倍氏は議論の際良く欧米に比較して云々というが、例えばこの「捕捉率」(保護必要に対してどれ位受給しているか)でいうと、ほぼ100%の欧米に対して、日本はその1/10位である。

 消費税の10%増税の目的は、確か社会保障の維持・改善のはずではなかったっけ ?

 「針小」を極端に「棒大」化したり、「欧米」を都合よく利用して、「自主・自力」、「普通の国」にいつの間にかもっていく、こんな事例が多過ぎる。

 一度キチンと書いてみたい、書いておきたい。


 さて、擬態昆虫、である。

 私は子供の頃 セミハンター といわれ(自称?)、夏休みといったら、一日日が暮れるまでセミ取りに駆け回っていた。

 そのセミの遠い親戚に ツノゼミ がいる。

 セミといったって、体長数mmから2cm位の虫みたいなもので、余り詳しく説明されなかったのでどういう生態的共通項があるのかわからなかったが、アップになった顔だけはセミの様に見えないこともなかったが、ただそれだけ。

 昔のセミ狂いとしては、ツノゼミじゃなく 何とかムシ(例えば カオダケセミムシ などなど) と命名して欲しかった。

 番組の舞台は中米・コスタリカ、ここは世界的にも昆虫の王国で、色んなチャンネルで昆虫や蝶の特番を見たが、今回は擬態昆虫、特にツノゼミに絞った内容であった。

 皆さんも見たことがあるだろうが、花弁や枯葉などに擬態してジッと我慢の子のカマキリ。そしてそれとは知らずに近づいてきた虫たちをガバッとフン捕まえ、頭からムシャムシャと貪り食う。

 喰われた本人も何事が起ったのか皆目不明のままのあの世行き。

 そんなカマキリ君たち、ここにいますよ、と指さされても良くワカラン。全く見事な擬態ぶりである。

 ただ、捕まえるための擬態、というのは余りなくて、やはり鳥やトカゲ、昆虫食動物などから逃げるための必死の変身こそが擬態の本道であろう。

 進化とは 環境への適応 と良く言うが、同じ種の内、特に食物採取・生存防衛に適したものが子孫存続に有利となって、結果繁栄し、いつしかその種の主流になる。

 ゾウの鼻もキリンの首も、そして擬態昆虫も、全てが其れである、とは言うものの、花そっくりのカマキリや枯枝に同化しているナナフシなんかを見ていると、よくぞここまでと、不思議な、信じ難い思いにとらわれる。

 姿・形、色・模様まで、特定の植物にすっかり同化する。結果そうなんだからそうなんだろうが、こんなことが出来るなんて、いくら進化・適応とはいえ、良く分からない。

 ツノゼミも、全く弱小の昆虫で、形態の変化によって数百種に区分されるというが、その変化は全て ツノ である。

 ツノが巨大化したり、逆に各種分岐したりで、中には何でこんなものになったのかその意味不明のものまでが出る始末で、こういうのを 過剰進化 というが、それもさり有りなんで、変わってしまった本人も途中から分からなくなってしまったんだろう。

 その一種に フンツノゼミ がいる。

 それを見た瞬間笑いが止まらなくなり、しかし最後 「お前も食われまいと大変だったんだナァ。でもそこまでしなくても…。」 と思わず声をかけたくなった。

 ツノが巨大・拡大・分散化して全身を覆い、まさしく 昆虫のフンそっくり に変身してしまったのだ。ツノゼミの天敵さえもこの前を素通りして行く。

 本人としては ヤッタネ !! であろうが、それでも 「そこまで…」 である。


 色んな生き方があるもんですナァー。
 


 動物ものを見ていつも思うのは、如何に生き残るか、そして自分の子孫を如何に残すか、そのための 必死さ である。

 それが命懸けの子育てであり、或る日突然の子別れであろう。

 そして 擬態 である。

 彼ら、彼女らの必死さが結果として我々を驚かせ、不思議がらせ、そして楽しませてくれる。

 これからも アッというような 擬態 を待ってるヨ。

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