元「生徒のなれの果て」の徒然日記 … 日々の思い 

アクセスカウンタ

zoom RSS 尾瀬の歩荷(ぽっか)たち … こんな生き方も、アリか ?

<<   作成日時 : 2013/11/05 15:37   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

 私が若い頃富士山で働いていて、そこでの経験、忘れ難い思い出を、大分前ブログに何回かにわたって書いたのだが、その仕事の一つが 強力(ごうりき) であった。

 各山小屋で必要な品物(従業員用・宿泊客用・売店用)は、今は、登山道に平行して走る ブル専用道 を使って簡単に運搬されるが、私の頃はそうはいかなかった。

 富士山登山道の一つ・富士吉田口は、6合目まではガレ場(粉砕された火山礫、マア歩き易い)で馬も歩けるので、その強靭な馬の背で運ばれるのだが、7合目、2900mからは一転岩だらけとなって馬は ウマクナイ !?

 そこで動員されるのが我々のような山小屋の男子従業員で、馬の背ならぬ人力で小屋まで運び入れられることになる。

 背負子(しょいこ)という運搬道具を使って運ぶのだが、何もなければ小屋まで30分も歩けば着く道のりを、午前中、3時間位かかっての過酷な労働であった。

 荷物の重さは大体30,40kg位、一度どれ位担げるものか皆で競争したことがあって、私は米2袋=80kgを運んだのだが、今は昔の話である。

 こうした運搬の仕事人を、富士山では 強力 というのである。

 今は知る人も少なくなってしまったろうが、往時のベストセラー作家・新田次郎の代表作に 『強力伝』 がある。

 富士山では伝説的な強力・A(姓名、忘却)の生涯を描いたものだが、最盛期には、信じ難いことだが 200kg !! の荷物を運び上げたというから、まさしく怪物であった。


 その強力を、尾瀬では 歩荷 と呼ぶ。

 私にとって尾瀬とは、小学校で歌わせられた 「…夏が来れば思い出す はるかな尾瀬…云々」 で記憶に残り、その後テレビ番組の特集で何度か見ている、何となく懐かしく感じられる場所・地名ではあるが、一度も行ったことはないし、行きたいとも思わないが、尾瀬には8軒の山小屋がある、という。

 尾瀬は、福島・新潟・群馬・栃木の4県にまたがる広大な湿地帯で、年間膨大な観光客・ハイキング客が訪れる。

 しかし所詮はハイキングコース(のようにテレビでは見えるのだが)。そんな所に何で8軒もの山小屋が必要なのか皆目不明だが、群馬県の片品村にそれらの山小屋に物資を補給する基地があり、山小屋まで馬や車での運搬不能、ということで、いよいよ 歩荷 の登場となる。

 全国から集まる彼らは、片品村に家を借り、山小屋が開いている春から秋まで、遅いところでは11月中旬まで営業している、とのことだが、日当1万3千円で片道3,4時間かけて荷物を運んでいる。

 荷物の重量は重い時には90kg位とのこと。自分の身長の倍もあるような荷を飄々と運んで行く。

その間何回か休憩を取り、雨が降ったら慌ててカバーをかける。風の場面はなかったが、多分一番ひどいのは風だろう。相当な重量のかつバカ高い荷であり、強い横風なんか受けたら、そりゃあ大変だ。

 ※最大荷重が90kg。私が80kg担いだ感覚の記憶で言うと、人間の背筋力は大したもので、歩けなくなるそうしたものではないが、山は登るもの。富士山ではまず無理だろう。ただ尾瀬は全て平行移動でもあり、なら何とかなるか。
 いくら時代が違うとはいえ、私の場合、食住付きとはいえ日当は何と 500円 !! で、当時としても安かったろう、と思う。

 富士山でもそうだったが、山小屋で働こうなんて輩は、色々訳ありの者も多く、勿論私もそうだったが、尾瀬でも、特番で取り上げられていた二人はそうであった。

 Aさん。

 年は37歳。会津出身者で、この仕事に22歳から就き、16年のキャリア。30歳の時仕事を通して現奥さんと出会い、その後結婚、一児の父となり、現在片品村に一軒家を購入して暮らしている。

 番組ではそう詳しく触れなかったし、又奥さん自身も女だてらに歩荷をやっていた様で、両者とも色んな思いを込めてこの仕事を選んだんだろう。

 奥さんは、家計の足しに近所のダイコン農家のアルバイト。

 Aさんは、この冬は造り酒屋で働く、という。「この冬」というからには、毎年変わっているのかもしれない。

 彼はこの仕事をズッとやっていきたい、と明るく答えてはいたが、画面で見ただけでも相当な重労働だし、もうすぐ40代。果たしてどうだろうか。

 Bさん。

 年は25歳。大阪の定時制高校を卒業後、夜の仕事を転々として、ヒョンナことからこの仕事を知って応募。今年で確か5年目である。

 二軒長屋の1室を借り、近所の農家のお婆さんと仲良くなって、良く野菜を貰っている様で、その日も二人でノンビリと喋っていた。

 環境を変え、地についた生活をしたかった、とのことだが、彼も又、今年の冬場は和歌山のミカン農家の手伝い、という。

 まだ若いからこういった 在り方 で十分面白いだろうが、いづれ誰でも年をとる。その時どう考えるだろうか。


 私も、もし富士山の山小屋が年間通して営業していたら、アノ時どうしただろうか ?

 吉田口の小屋は、一般に6月20頃から小屋開けを始め、日本三大奇祭の一つの 「吉田の火祭り」 を前に閉鎖、となるので、実質営業は2ケ月程度、となり、今の言い方で言うなら、まさしく 永遠の非正規 とならざるを得ない。

 どうするか、少し悩んだが、結局別な道=教員を選んでしまった。

 アノ時、もし私がもう少し無謀な心情な持ち主だったなら、ヒョットしたら、今も 永遠の非正規 として、どこかで生きていたのかもしれない。



 人生って、面白いものですネェー。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして。
歩荷のブログですが、Bさんは今年初めて歩荷をしたって言ってましたよ。
みぃちゃん
2013/11/22 12:50

コメントする help

ニックネーム
本 文
尾瀬の歩荷(ぽっか)たち … こんな生き方も、アリか ? 元「生徒のなれの果て」の徒然日記 … 日々の思い /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる